全てはその人の大切なパーツ
友達が根治に時間のかかる病を治療中だと言う連絡がありました。
検査結果で、命にかかわる系の大病とは繋がってない事が分かったものの。著しく生活のクオリティを下げてしまいそうで私達夫婦も大変心配しています。
私は癌サバイバーの妻ですが、サバイバー本人ではありません。「付き合い続ける必要のある病」に対しては第三者的な見方しかできないのです。
だから私は家庭も仕事も多忙な我が友に、少しでも時間的な余裕があるといいのにと願いました。
つまりそれは、どれか1つ、一時的にでも「止めて」くれないだろうか?
治療に専念してもらえないだろうか?
という、第三者としての気持でした。
私は彼女がその全てに真摯に打ち込んでいることを知ってました。
だけど、やりたいことはまたできるのだから。
体を優先して欲しい。
とにかく、彼女の身体が気がかりだから、元気でいて欲しい。やりたいことを少しだけストップはできないかなあ....と、思ってました。
しかし現役の癌サバイバーである相方の見方は違いました。
興味も、趣味も、仕事も、家庭も、育児も、何もかもがその人を作っているパーツなのだから、どれもこれも止めたくなんかないんだよ
やりたいことを諦めない生活を、応援してあげなよ。
と。
相方は私に言いました。
この話を友達に伝えたら、喜んでました。
何かを捨てなきゃいけないのかな?とやはり心密かに悩んでいたんだそうです。
相方の言葉が彼女に届いたのは嬉しかったです。
と、同時に、私の見識の浅さも感じました。
誰もが大事な人の幸せを願わずにはいられません。
でも、、時に、それが自分が安心したいだけの気持ちにはまり込んでいるのではないかと。
反省したことでした。
その心配は誰の為でしょうか。
それはヒトの心に届いて、穏やかさを伝えるでしょか。
考えたいと思います。
ちょっと今日はマジです。