眠れない私に私自身がしてあげられること
うちの相方、去年の今頃退院したんですよ。
あのとき、私、どんなこと考えていたっけかなーとスケジュール帳を眺めつつ、さっきまで考えていました。
相方が癌だと解る前、毎日だんだん弱っていくのに、医者に診てもらっても原意がつかめないままという非常に恐ろしい時間を過ごしました。ずいぶんと心配で眠れないことが多かったです。原因不明ほど恐ろしいものはありません。
いつもいつも心配で、不安で、どうしようどうしようと思う時間が切れ目なく続きました。
だから癌だと解ってからのほうが、正体が見えただけ少しだけ楽になったように記憶しています。(相方も「癌って言われたほーがすっきりした」と言ってました)
なんだかわからないものほど恐怖ですよね。
癌と解って治療が開始されても、これからどうなるのかなあ?というのはやはりわからない訳なんです。
癌って慢性疾患なんですよね。ずっと続く。そして私の不安も続くわけなんです。
心配でたまらないのだと、主治医に打ち明けたら
「奥さん、心配はやめてください。」とキリッとした口調で言われました。
心配はけして尽きることがないから。一つ片づくと次の心配が出ます。心配は心配を生み、そして果てがないんです。
そして、その心配は私だけでなく周囲を、一番守りたい相方を蝕みます。
心配、、、、マジヤバイ。(語彙力)
心配するな!なんの足しにもならん!治療の邪魔じゃ!・・・と、までは言われませんが、まさしく、そうだと思います。
心配する10分とアイスクリーム食べてなごむ10分は同じ10分間の長さです。
でも、あきらかに質が違いますよね。
癌は慢性疾患みたいなもの。
一生、私は心配しつづけちゃうのでしょうか。
そして自分のそばで心配ばかりしている妻を、救ってやれないと相方も悲しくなってくるんではないでしょうか
もう、相方も私も笑って暮らせないのでしょうか??
そんなことがあっちゃならんのですよ!(ドンと確定キーを押す)
そんなことを何度も考えて、不安と納得と心配と考え直しを何度もして。
いま、最新版の「わたくし」の方針が
「その時に考えようぜ」
と、なりました。
だって、今現在、相方はベストを尽くしているんです。
私が心配するってことは、彼のやっているベストを尽くした状態に「なにもしないで横から文句言っている」のと同様ではないでしょうか。
(解る人だけ解る表現になりますが。心配性の私の暴走する心配力に歯止めをかけたのは、NHK朝ドラの「まんぷく」です。主人公ふくちゃんの母親のすずさん。あれです、あれ。あの「すずさん」を見て、私、大反省したんですよね~。あれは、アカンやろ と、思います・・・偉大なる反面教師です。すばらしい方です、別の意味で。)
でも。そんなにすんなり心配をやめることができるでしょうか?
「考えちゃだめだ!」なんて誰も強制できませんよ、無理です。無理。っていうか、そういう風にしばるのも良くないと思います。
だから、心配が沸いてきたらそのたびに、しょーもないこと考えちゃうよねって。自分の考えを自分で認めてます。認めてあげると「心配」も少し「安心」するようです。どんな感情も認められると「うれしい」んでしょうね。
また、こうも考えました。
心配して癌が治るというエビデンスが出たら
来世までずーっと心配しようぜ!!
これが一番、効果的でした。
エビデンスまででちゃったら、そりゃ、あなた。心配しまくりますよ!!私のイマジネーションをフル動員させて心配しますわ。
心配よりも、いま気分良く過ごすこと。
いま、一緒に暮らせてる幸せを噛みしめる方が、ずーっと楽しいです。
去年のスケジュール帳をじっと眺めて今日はそんなことを思いました。