癌患者家族が病に支配されないポイント。自分の感情を無視しないこと
こんにちは、みずたま堂です。
私は夫である相方が癌だと解った時、自分の世界が終わったと思いました。
随分、自分を責めました。
なんで彼? なにが悪かった? なにが原因なの? なんで私気がつかなかったの?
悪いモノ食べさせた?私、栄養士なのに食事に気を使えてなかった?!と
ずっと考えて、自分を責め立てました。
感情から逃げた私は全てが静止してしまった
相方が癌だと解ったのが今年2018年4月のことです。まだ1年も経っていません。
それでも大昔のように思えます。「あの頃」と言うほど昔に思えます。たぶん、自分の心境が大きく変わったからかもしれません。
今は癌である夫とずーっといっしょに生きていこうとだけ思っています。
もちろん、悲しい気持になることもあります。でも、ぶっちゃけ、人間って悲しいと泣きながらでもやるべきことをやり、お腹も空くし、時には笑うことすらあって、暮らしていけるのです。
自分の過ごしてきた毎日を思い返してみると、1番辛かったのは何も出来なかった自分自身を攻め続けた時だったと思います。朝も昼も夜も、自分は自分から逃げる事は出来ませんから、とことんまで自分を追い詰めることができます。その期間は生活の記憶もあやふやでまるで目隠しでもしていたみたいです。
夫が癌。
入院して、もしかしたらもう、家に帰ってきてもらえなくなるかもしれない。
そう思うと悲しくて悲しくて、その悲しさを振り払う為に自分を責めていたように思います。
誰かを責めるのは、いまの状況を作った犯人を追い詰めるような感覚です。
そう考えている間は、悲しみが薄らぐのです。
ある日、ああ、悲しい…としみじみ思いました。
きっかけは、何だったのか思い出せませんが、心の底から「悲しい」とだけ思いました。ただ、悲しいんだなと思ったら、たくさん涙が出ました。
ブログを書こうと思い始めたのもこの頃だったと思います。
悲しさを誤魔化さなくなったとたんに、自分を攻め立てるばかりの塞がった世界が、ゆっくり動き出したように思います。
悲しんでもいいんだ、悲しいことが起きたのだからと、ようやく自分を許したのかもしてません。
ものごとに両面があるのなら、いい方を見てもかまわない。
もう一つ、気がついたのは、なんとかいい面を探し出す!ということです。あまりに悲しみすぎたので、脳が現実逃避をし始めたのかもしれません。
昨日、我が家で使っているミキサーがリコール品という連絡通知が届きました。
カッター部分が欠損する可能性があるとのことで無料交換するとのこと。
たとえば、このことを例にするとすでにラッキーなことが2つもあります。
ラッキーその1
リコール通知で気がついたんですが、我が家のミキサーはすでに使用年数6年。
その間、リコール品とは思えないほど問題もなく今まで働いてくれてました。
ラッキーその2
問題がないのにカッターを無料交換してもらえる。さらに寿命が延びる!
あと年6年は使えるにちがいありません。
そういえば、モノにもイキモノにも、つまりこの世の全てには波動があって、それが合えば引き寄せられるし、合わなきゃ離れていく...と、いうヒーリングの本にもありました。新しいカッターと交換しますよ、さらに寿命伸びますよ!なんて私の波動もなかなか調子いいんじゃないのー。
と、ここまで「いいこと探し」できてしまうのです。
人間の脳、おそるべし。
この記事をまとめている時にこちらのブログを拝見しました。
どんな日も特別な日として様々な「その日」」にまつわるエピソードを紹介されているブログで私も毎日拝見するのが楽しみです。
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
(金子みすゞ)
「ハッピーになる言葉」のコーナーで紹介された金子みすゞさんの詩です。
たしかに思いやエネルギーは目にすることはできませんが。
それでもそれを「ある」と思えば、「ある」んです。信じたいから「ある」んです。
あのままずっと自分が感じてる悲しいという感情を無視していたら、こちらのブログを拝見しても何も感じなかったかもしれません。
悲しい事は悪いこと、悲しむ事はいけない事という固定観念もあったんだと思います。悲しいことがあったら、好きなだけ泣いて悲しんでもいい。
今はそれを自分に許可してやりたいと思います。
ぐるぐると自分の考えに縛られて、私は癌に支配されていたのかもしれません。それほど癌が怖かったんです。でもあんな思いはもうたくさんです。
悲しかったら泣こう。信じたかったら信じよう。
みえないけれど、あるんだよーん!と
時々口に出して自分にいい聞かせるようになりました。
それは、もう何かに囚われないためのおまじないとなりました。