ずっといっしょに

胃癌サバイバーの旦那様をサポートするブログ

まるで我がことのように思えた、竹原ピストルさんの 「Amazing grace」。

紫と青の小花の花束

夕方。

私達は内科の研修医の先生の案内で、ミーティングルームに入りました。

 

主治医の内科医先生。

研修医の先生。

フロア長の看護師さん。

彼。

私。

 

淡々と検査結果の説明が進みます。

ひとつひとつ、私達がちゃんと理解できたかどうか確認しながらお話頂きました。

私自身はすでに人間ドックの先生から電話連絡を貰っていたため、病名はすでに知っていましたが、主人は初めて聞かされる訳です。

 

進行性の胃癌。

 

主人も私も1つも聞き漏らすまいと必死に説明を聞いていました。

先生の口から、1つでいいから、希望を持てる言葉が出ることを期待して。

でも、私達に有利な情報はありませんでした。

 

時期はゴールデンウィークも目の前。

内科医の先生は一刻も早く手術を行うため、外科と話し合い中だとおっしゃいました。

その口調にはほんの少しだけ苛立ちがあったこと、

待ってるあいだに転移でもしたら…という心配も口にされていました。

私はそれを聞き逃すことは出来ませんでした。嫌なタイプの癌なんだと思いました。

 

冷静にお話を聞いてはいましたが、席を立った時、貧血おこしました!

主人じゃないですよ、私です。

知っていたのに、じっくりあらゆるリスクも含めて話を聞いたら目を回したんですねえ。情けないです。

 

しばらく看護師さんと研修医の先生、主人にも付き添ってもらって休みました。

何も話さず、ただ寄り添って頂けたのがありがたく、落ち着きを取り戻すことができました。

いま、思い出しながら書いているのですが、不思議なくらい記憶が飛んでます。

そんなに前のことでもないのに。あの日私はどうやって家に帰ったのか、あの頃何を食べていたのか、面会に行く以外は仕事にも行っていたけど、1人で家にいる時はどう過ごしていたのか…

消しゴムかけたみたいに、この時期の記憶は消えています。

主人ともどんな話をしたのか、思い出せません。

 

手術はゴールデンウィーク前に行われることになりました。

ここからは外科の管轄になり、手術前の検査と手術のための書類にサイン書きまくりです。

 

思えば入院してからは栄養補給は完全に点滴のみ。

お水すら飲めない生活です。

食欲不振になってから2ヶ月以上、主人は食事らしい食事をとらないで点滴生活になり

胃管から毎日何リットルもお水を出しながら、それでもまだお腹はパンパンなままで、

肺炎になって高熱だして、シャックリはずーっとずーっと止まらなくて。

これだけ散々くるしんでるのに。

このまま胃を切除されてしまうわけで…

手術をしても「治る」ということにはならないんだ。

もう、元の体じゃなくなってしまうんだなと思うと、悲しくて悲しくて。

 

何が悪かったんだろう。

主人は何も悪くないんだから、私のせいかな。私の作るごはんがいけなかったのかな。

このことは今も時折思います。何を食べてたらよかったんだろうって。

 

なんでこんな酷い病気がこの世にあるんでしょう。

 

この頃、竹原ピストルさんの『Amazing grace』を偶然聞きました。

 

雷に撃たれたような衝撃を感じました。

この歌の言葉と全く同じことを思います、私も。

 

主人のお腹の中に出撃して、たとえ相手と刺し違えてでも

ガン細胞の最期の最期のひと粒まで、この手で…必ず…と。